教育ICTデザイナー  田中康平のブログ

教育ICT環境デザイン、ICT支援員、幼児教育とICT、など

1人1台の学習用端末整備とは、誰のための事業なのか。

佐賀県の県立高校での学習用パソコン。

H29年度の新入生が購入するための端末の調達・設定・引き渡し等の入札が公示されている。

www.pref.saga.lg.jp

 佐賀県のICT利活用教育推進事業において中心的な整備となっている県立高校生の学習者用パソコン。

数校での実証を経て、H26年より全県立高校で展開されて3年目。

その間、多くの課題が指摘され、挙げ句の果てには不正アクセス事件が発生し、逮捕者も出た。

それらを踏まえて、今後の整備内容等が改善されるのかと言えば、そうではない。

仕様書を読んでいただければわかる通り、従来の端末と大差はなく、
不正アクセスで最も多くの個人情報が流出した校内サーバを今後も使用し、そこに接続する前提となっている。

H25年度から実施された当該事業の改善検討委員会の委員として課題等を指摘してきたが、それは単に

「委員の意見を聞いた」

という体裁を取り繕うためのものだったのだろう。

指摘事項や提言は、残念ながら何ら盛り込まれていないと言ってよい。

 

県立高校へ入学する際に、全ての新入学生が5万円を負担し購入する。

購入するための資金を一括で支払うことが困難な場合は、育英会より購入資金の貸付を受け、毎月返済する方法も用意されている。

(借用人は生徒本人。H26年度は、2割程度が育英会からの貸付を利用している。)

定時制高校への入学者も購入が必要であり、費用負担の面からも改善を求める声が寄せられていた。

 

私が出会う高校生の保護者の方々は、口々に

「使っていない」

「不要」

「電子辞書で十分」

「検索したり、英和辞書程度の活用ならば、スマホで十分ではないか」

と言う。

 

中学3年生の保護者の方々からは

「来年度も購入しなければならないのか」

と否定的な口調で尋ねられる。

 

実際に高校へ通う生徒からも

「起動が遅い」「重たい」「何回かしか持って行っていない」

と聞く。

 

授業を見に行っても、全体的によく活用されているとは言えない。
(これまで私が見てきた学校において、そうであった。)

つい最近でも、日常的に活用されていないことを想像させる授業を幾つも目にした。

学習用パソコンを起動しながら、その前に電子辞書を出して活用している場面なども目にしてきた。

 

現場の教員からは
「来年度も購入となったら、保護者説明会で相当のご意見や批判が寄せられるのではないかと心配している」
という声も聞かれる。

 

高校生が一人一台の情報端末を日々活用すること自体には賛同する。

 

しかし、それは

「活用しやすい端末や環境」

「端末を活用した学習機会の拡大」

「授業改善」

これらが相まってこそ有効になるのだと思う。

端末にしても、指定された端末ではなく、生徒が選択できれば良いと思う。

 

これまで見聞きした現状から考えると、改善すべき部分が多々残っている。

出てきた課題を真摯に受け止め、改善し、その結果を検証し、さらなる改善策を講じるべきだが、残念ながら教育委員会の担当部署からはその様な姿勢は見られない。

 

一人1台の情報端末の整備とは「利用者本人のための事業」である。

整備側の出世の道具でも、提供する企業側の利益のためではない。

公共事業として地元経済の活性化や雇用創出が目的というのであれば、本末転倒。

利用者本人のより豊かな学習のために、利用者本人が主体的に活用するための情報端末であるはずだ。

そういう「当たり前のこと」が実現されるのは、いつになるのか。


教育とICTの業界では

「2020年に一人1台の学習者用端末の導入を!」

の掛け声が聞かれる。

導入を主導する関係者や企業のためではなく、活用する児童生徒の為であって欲しい。

 

これまでの教育ICT環境整備において、

「導入しても活用されない」

「費用対効果が見えないので予算が削減された」

を繰り返してきたのは何故なのか?

 

児童生徒が「活用したい!」

教員が「活用したい!」

という声が聞こえて来る「あたりまえの状況」が生み出されないのは、何故なのか。

 

私を含め、教育ICT環境整備の関係者は、佐賀県の事例や過去の事例をしっかりと振り返り、学ばなければならない。

本当に「一人1台の学習用端末整備が必要だ」と考えているのなら、考え方や方法を変えるべき。

そうしなければ、ユーザーから三行半を突きつけられるかもしれない。

特に、日々スマートフォンに慣れ親しんでいる高校生からは、そっぽを向かれてしまうだろう。(もう、そっぽを向かれてしまっているかもしれないが。。。)

見方・考え方をリセットする

「見方・考え方をリセットする」

教育現場で、電子黒板や学習者用の情報端末の導入・活用が始まったH22年ごろから、6年ほどが経過した。

授業等での活用の様子を写真に撮りためてきたが、その風景は、さほど変わっていないと感じる。

 

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※学習者の目の高さから撮影した上の2枚の写真の間には、3年の月日が流れている

学習者の目の高さからは、提示された教材の全体は見えない。

学習者からどう見えているか、何を提供できているのかに気を配るだけで、改善できるのだが。

 

その間、海外の学校の状況などを知る機会が増えた。

PC等のBYODが当たり前となっている国、コンピュータサイエンスに取り組む国、プログラミングに取り組む国など、
「情報端末などのICTは、学習者のために当たり前に存在する道具」
という前提に立ち、その先でどの様な能力を育むのかという、本来あるべき方向へ進んでいるものと考えられる。
 

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※ブルームのタキソノミー(教育目標分類学)と情報端末の活用を関連させて学習活動を検討することなど、海外のモデル等で触れられていることがある。

 
日本では、ICT環境の整備やその活用が「学校の特色」や「目標」となっている場合がある。
道具の整備・購入、数、機能などが話題として取り上げられる時代は、そろそろ終わってよいのではないだろうか。
 

授業観、学習観を問い直し創造した学校や学科では、情報端末は学習の道具としてごく普通に活用されている。

 

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※学習者が主体的に学ぶための道具として活用されている事例

 

子供達の実態から考えると、学習の道具の一つに情報端末という選択肢を提供するのは自然のことだと思う。
そうした道具を使う学習活動では、何を実現し、何を学び、何を獲得させるのか。
学習者が所有している道具と同等に、学習活動の中で自然とICTが活用されるには、どこに働きかけ、どの様な事を具体化すべきか。
 
ICTの活用が目的化した窮屈そうな授業を見ては(見せられては)、「難しいもの」「大変なこと」としか受け止められず、一般化しない。
 
H22年度の総務省のフューチャースクール事業から6年経過した。
未だに情報端末等の整備が進まなかったり、整備されても活用されない場合がある。
その理由として、ICTへの関心が高くない一般の教員などから
「効果の薄いモノ」
「特別な機能を使いこなすことができる、特別な教員の為の教具」
と認識されていることも要因として考えられる。
 

見方や考え方をリセットし、

「学習者が主体的に学ぶための道具」

として、それを使って何を実現するのかに向かって、純粋であるべきだろう。

 

もう、同じ風景の写真を撮りためないで済む様に。

機器の写真ではなく「学習者の生き生きとした表情」を撮りためたい。

 

整備の前に「整理」を。

整備の前に「整理」を。

教育の情報化が推進されて、はや何年(何十年?)が経過したのでしょうか。

ごく普通の先生がやってみたくなる様な実践が可能で、

校務の情報化により先生の余力も生まれ、

それらを実現するために、

だれもが効果的に活用出来る安定したICT環境があるとしたら、、、

推進せずとも自然と広まっていったことでしょう。

タラレバですが。。。

 

・予算要求しても認められない(それは、認めない側の方が正論だから?)

・費用対効果がわかりにくい(KPIの立て方に問題はないのか?)

・導入しても活用が進まない(現場が求めた環境なのか?)

・活用したい機器が整備されない(誰が決めているの?)

そうこうしているうちに、教育の情報化は国からの交付金頼みになっているとしたら。

本来の目的が薄れ

補助金を増やす、獲得する、使う」

これらが目的化してしまう様では本末転倒。

ちょっと恐ろしいことだと感じます。

 

ここ数年、大きな整備が実現したのは、H21年度の「学校ICT環境整備事業補助金(1/2国庫補助)」が措置された年。

この時は、別途「地域活性化・経済危機対策臨時交付金(1/2補助)」も措置され、実質的に自治体は持ち出し予算¥0で校務用PCやデジタルテレビ、校内LANなどの整備が可能でした。

これにより、多くの学校でICT環境の整備が実現しました。

このことは、文部科学省の「学校における教育の情報化の実態等に関する調査」からも読み取ることができます。

H21年度以降、堅調に導入されているのは「電子黒板」と「実物投影機」

この二つは比較的扱いやすく用途がハッキリしているからでしょう。

その他は、やや増か、あまり変わらない状況が続いています。

タブレット型PCが増加している様に見えますが、教育用コンピュータ1台あたりの児童生徒数はほぼ変わっていません。
(H22年度 6.6人/台→H24年度6.5人/台→H26年度 6.4人/台)

ですので、教育用PCの総数が大きく増加しているわけではないでしょう。

PC室のPCがタブレット端末化している学校が増えていると考えられます。

校務支援システムを整備している学校は、公立学校全体のうち89%。

この調査における校務支援システムとは

「校務文書に関する業務、教職員間の情報共有、家庭や地域への情報発信、服務管理上の事務、施設管理等を行うことを目的とし、教職員が一律に利用するシステム」 
※学校における教育の情報化の実態等に関する調査より

とされており、

これらの機能を一つでも整備していれば「整備している」という回答になる様です。

「整備している」と回答した89%の学校のうち、

教務系(成績処理、出欠管理、時数等)・保健系(健康診断票、保健室管理等)、指導要録等の学籍関係、学校事務系など統合して機能を有している「統合型」の整備は49%。

公立学校全体から見ると40%となります。(H26年度末時点)

※校務支援システムの整備状況については、H22年度調査から項目が追加され、以降若干形を変えているため、経年の比較が難しい。

整備しようにも予算が通らない、予算が削減される、そうした話はよく耳にします。

国が補助金を出さないから整備が進まない。

そうした声を聞くことも珍しくありません。

 

 今回「総務省による無線LAN整備への補助(2016年度〜2019年度の3カ年で無線LAN機器等の整備に関する100億円の補助予算を確保)」についての報道がありました。

これが実行されたならば、学校内の無線LAN環境の整備は、それなりに進むと期待されている様です。

www.nikkei.com

 

ちょっと冷静に見てみましょう。

安価な機器で構成された無線LAN環境が整備され、

その結果、思った様な活用ができないという状況を招く恐れがあるかもしれません。

文部科学省がH26年度末(H27年3月)の教育の情報化の実態等が調査対象としている公立学校(小学校・中学校・高等学校・中東教育学校・特別支援学校)の数は

「34,458校」

そのうち、「校内LANを整備する普通教室のうち、無線LANを整備する教室の割合」は「27.2%」

これを、学校数で勘案(大雑把で不正確ですが)すると、

無線LANの整備が必要な学校=補助対象学校

「25,085校」 

総務省補助金総額が3カ年で

「100億円」らしいので

1校あたりの補助金額は

「¥398,637-」 

1/2補助であれば、実際の整備予算はこの倍の

「¥797,274-」ですね。

予算化され、実施要項が公表されるまでは詳細は不明ですが、

仮に、この規模の予算を、無線LAN未整備の学校へ配分した場合、どのよな整備が可能でしょうか?

1人一台の学習者用端末が整備された上で、

どの普通教室でも授業に支障がないレベルで無線LAN接続が可能な環境

これを実現させるには、様々なことを検討する必要がありそうです。

無線LANのトラブルは、

・そこで利用されている無線LAN機器等の機能や能力に起因するもの

・そこで利用されているシステムの通信経路と無線LANのネットワーク設計上の問題に起因するもの

・設置後の電波状況の変化(飛来電波の増加など)に起因するもの

これらに分けられます。(私の経験上ですが)

整備してからのケア(機器の保守やメンテナンスなど)も必要です。

5年目以降の機器更新も見込まなければなりません。

安易な整備に進まず、

「どの様な学習活動のために、どの様な通信インフラが求められるのか」

フラットな視点で検討し、整理するところから始めて欲しいと思います。

例えば、

「学校の中で、教室内で端末間の画面転送するための通信環境」

「学校内外に関わらず、学習を継続し、学習機会を拡大できるような通信環境」

この二つでは、必要な通信環境は大きく異なります。

特に、後者を求めるならば、無線LANLTE等の携帯電話回線の利用も検討しなければなりません。

また、既に通信環境を整備した事例を見てみると、

ある学校事例では、無線LAN環境は良好に稼働しています。そこは、整備だけで〇千万円を投じてます。

別の学校事例では、〇千万を投じても通信トラブルが解消できないケースもあります。

ある事例では、無線LAN環境の整備は最小限にとどめ、LTE回線を活用し、通信トラブルゼロの快適な環境下で情報端末を日常的に活用しています。

これからの学校の通信インフラ整備は、ちょっと立ち止まって考えた方がよいのではないでしょうか。

なぜ、これまで整備が進まなかったのか?

これから無線LANの整備を検討する方々は、ぜひ学校現場に行き、授業を見てください。

また、1人一台の学習者用端末が利用出来ると想定すると、

「何台の情報端末が稼働するのか」

「どれほどの通信帯域が必要になるのか」

という環境的な側面と

「どの様な学習活動が展開されるのか」

「今と比べてどの様な活動に変化するのか」

「どの様なチカラを身につけるために情報化を進めていくのか」

という学習活動の目的や活動内容といった側面

そのあたりについても、現場の実態や先行事例などに学びながら整理していただけたらと思います。

補助金があるから整備するのでしょうか?

教育の情報化は、誰のために、何を目的としているのでしょうか?

整備の前に、ぜひ「整理」を。

出来るようになりたい。知りたい。学びたい。

幼稚園や保育園のICT活用をサポートするようになり、幼児と関わる機会が増えました。

その中で、最も強く感じたことは

「出来るようになりたい。知りたい。学びたい。」

という、幼児の純粋な欲求です。

そして、

「出来た!わかった!」

その時に見せる喜びも、純粋な形で現れます。

もちろん、個人によってその度合いや表現は異なりますが、

今のところ、「やりたくない、知りたくない、学びたくない」という幼児には出会っていません。

 

これが、年齢が上がるにつれ萎んでいくように見えます。

「出来るようになりたい。知りたい。学びたい。」

これらが萎み、発現しなくなる要因に

「そんな事も分からないの?」という周囲(特に親や先生など大人)の嘲笑

「あれをやれ、これをやれ」という押し付け

「子供には無理だろう」という前提に立って与える、やり甲斐のない課題

そうしたものがあるのではないでしょうか。

 

私は仕事柄、ICTを通して教育活動や教育現場に関わっています。 

今、学校ではタブレット端末の整備が進んでいます。

しかし、思ったように活用されないということも、よく耳にします。

無線LANやシステム的な部分など多くの課題も指摘されますが、

「子供だから、タブレット端末で十分だろう」

「子供だから、この機能で十分だろう」

整備側の大人にそうした考えがあるのであれば、それも活用が広がらない課題の一つになっているような気がしてなりません。

幼児も含めて、子供達の欲求や能力を捉え直し、

それらを存分に発揮出来る環境や活動をデザインしていきたいですね。

情報活用能力の育成と課題との間に横たわるもの

「情報活用能力の育成と課題との間に横たわるもの」

日本では、社会に出て毎日英語を使い仕事をする人よりも、毎日PCやインターネットや組織内LANや共有サーバを利用する人の方が圧倒的に多いでしょう。

周囲を見渡すと、

・キーボードで満足にタイピングできない。

・インターネット上の情報をコピペはできても「引用(著作権法32条)」する術を知らない。

・ファイルの拡張子を知らない。

SNSの延長の様な文面で、友達ではない相手にメールを送信する。

そういう若者が増えてないでしょうか?(若者に限ったことでもないかもしれませんが)

大学の先生と話をすると、今の「若者あるある」の様に、こうした話が数多く出てきます。

企業でも似た様な話を聞きます。

 

「情報活用能力」という言葉をご存知でしょうか。

文部科学省では

3つの観点、8つの要素に整理されています。

「情報活用の実践力」

・必要な情報の主体的な収集/判断/表現/処理/創造

・受け手の状況などを踏まえた発信/伝達

・課題や目的に応じた情報手段の適切な活用

「情報の科学的な理解」

・自らの情報活用を評価/改善するための理論や方法の理解

・情報手段の特性の理解

「情報社会に参画する態度」

・情報や情報技術の役割や影響の理解

・情報モラルの必要性/情報に対する責任

・望ましい情報社会の創造への参画

 

文部科学省「21世紀を生き抜く児童生徒の情報活用能力育成のために」より

http://jouhouka.mext.go.jp/school/pdf/shidoujirei.pdf

H23年度に文部科学省より公表された「教育の情報化ビジョン」には、

情報活用能力を育むことは、必要な情報を主体的 に収集・判断・処理・編集・創造・表現し、発信・ 伝達できる能力等を育むことです。また、基礎的・ 基本的な知識・技能の確実な定着とともに、知識・ 技能を活用して行う言語活動の基盤となるもので あり、「生きる力」に資するものです。
 と書かれています。
H26年度に初めて「情報活用能力調査」が実施されました
(対象:国公私立の小学校第5学年児童 116校 3,343人、中学校第2学年生徒 104校3,338人)
その結果が公表され、10に分類された課題とそれに対応する授業実践の事例が紹介されています。
課題の1例に「キーボードでの文字入力」というものがあります。
5分間で全角72文字の文を入力するという調査の結果
平均入力文字数別の学校割合は,小学校は 20 字以上 30 字未満が最大で 45.1%,中学校は 40 字以上 50 字未満が最大で 48.1%である。
1分間当たりの文字入力数 小:平均5.9文字 中:平均17.4文字
 別の課題として「複数のデータからの情報収集」についても指摘されています。
ウェブページの階層化されたリンク先をたどって,特定の情報を見つけ出し関連付けることができた小学生は約1割であった。(小学生のみに出題)
 ※文部科学省情報活用能力調査結果 第4章」より
今の高校生や大学生の情報活用能力は、もっと高いものであって欲しいと願います。
さて、
学校にはPC室が整備され、最近では電子黒板やタブレット型端末の整備も進んでいます。なのに、なぜ情報活用能力の育成に課題が見られるのでしょうか。
 
・学校現場にしか存在しない特別なソフトウェアやシステム

・子供を守ろうとするあまり(もしくは、教育活動への理解が低いメーカーによる製品等により)閲覧したいサイトすらブロックする有害サイトフィルタリング

・子供のカスタマイズを排除するユーザ権限の付与や強制的なPC環境復元の仕組

・子供の活動を制御する機能(キーボードの一斉ロックや作業停止など)

・キーボードでのタイピングの機会すら奪う恐れのある、タブレット端末に切り替えられるPC室整備

私が見てきた環境を整理すると、こうした点が上げられます。

情報活用能力を育むための豊かな活動を実現できるとは思えない環境が整備されているとしたらどうでしょうか。

課題の要因は、授業実践やその機会だけにあるとは到底思えません。

学校では、一般社会と隔絶されたかの様な環境でPCを操作し、情報を活用することに制限をかけられてしまっている児童生徒が大勢います。

そういう子供たちは、学校を離れるとスマホで全てを済ませてしまうことも考えられます。

情報活用能力は、社会に出たら当たり前に求められる能力でしょう。

社会でだけではなく、人生そのものを豊かにしてくれるチカラの一つです。

その育成について、観点も要素も整理されています。

なのに、育成する環境の現状はどうなのか?

製品を開発し提案・販売するメーカーや、整備を提案する企業は、これまでの環境を振り返り、そこで育まれたものが何であったかを問い直さなければならないのではないでしょうか。

手段が目的化しがちな教育現場の情報化やICT環境の整備。

今一度、目的は何であるのかを問うていきたいと思います。

その目的が、関連する企業の為だけであってはならないのです。

ICT環境デザインに関する雑感

とある小学校で、電子黒板を活用した音楽の授業を拝見。

先生:教科書の○ページを開いてください

そこから
・電子黒板(液晶パネルタイプ)をタッチして、指導者用デジタル教科書を起動
・指導者用デジタル教科書の該当ページを検索して提示
・歌詞を拡大提示するために、電子黒板の拡大機能を活用しようるするも、電子黒板側のソフトウェアが未起動だったので、改めて起動
・拡大提示が終了。 

ここまで約3分

・電子黒板に提示されたページの曲を再生。液晶パネル内蔵スピーカーから出力。付属のリモコンで音量調整。
・指導者用デジタル教科書に音源が収録されていない曲を再生させるために、CDをCDラジカセに挿入して再生。
・以降は曲目に応じて、電子黒板とCDラジカセの間を行き来する。
なかなかの手数だ。

ちなみに、黒板を挟んで教室奥側に電子黒板、廊下側にCDラジカセというレイアウト。

ある程度、操作に関して事前準備をされていたことがうかがえる動き。

それでも、黒板を挟んで左右に動かねばならない。

それを、子供たちは目で追っている。

コンテンツや電子黒板上の機能重複は、操作の迷いを生みやすい。

教室内の機器レイアウトに難があるのは明白。

電源コンセントの位置にも左右されている。

配線類も、床を這ったり機器の周囲にぶら下がっていたり。

LANも電気も一緒に転がっている。

管理上も安全上も適切な施工とは言い難い。

PC教室の感覚で施工していると陥ってしまいがちな事例。
(見えないところにケーブル隠しとけ。的な)

常に子供たちが活動する、先生も日常的に活用する「普通教室」という場であることをどこまで考えたのか。

調達時に、設置施工に関しても仕様内容を明確にし、使いやすいレイアウトや事故のない安全な環境を求めていかなければと再確認した。

また、今日の様な授業の場合、例えばiPadに音源が保存されており、教科書の写真を撮影した上で、Keynoteで音源と写真を挿入したスライドを作成しておき、電子黒板にiPadを接続して利用できたならば、もっとスムーズに展開したのではないだろうか。

著作権法上、第35条第1項の条件を満たせば問題ないはずだ。

音源にしてもiTunesで購入しておけば良いだろう。

実際にこれらを実現しようとすると、購入手続きや前例がないことへの説明など細々整理しながら乗り越えるべき事は多い。

しかし、ユーザーにとってそれが望ましい環境であれば、求めていくのが自然なことであり、そうではない整備や供給側の論理が先に立っては、同じ課題の繰り返しになるだろう。

これから先の教育ICT環境デザイン。

その答えは、現場に落ちている。

気づく「目」と、これまでの常識を疑いながら最良を求める姿勢を大切にしたい。

学校現場の理解から、教育とICTを考える。

「学校現場の理解から、教育とICTを考える。」

 最近、タブレットPCなどの活用や、学校へのICT導入などの研修の依頼をが増えてきました。

 研修会ではないところでも、ICTの活用について相談をいただいたり、個別でメールを送っていただくこともあります。

 そんな中で考えていることをまとめてみました。 

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 怪我、体調不良、忘れもの、人間関係のトラブルなど、目の前の子供達の変化への対応。

 様々な調査への回答、教材費集計などの学級事務、分掌担当業務など校務に関する対応。

 地域の方々との関わり、各種行事、部活動などへの対応。

 様々な対応に追われ、授業準備や教材研究、子供達との対話の時間が思う様に取れない現状。

 そこへ流れ込む「ICTを活用しましょう」という風潮。

 学校現場には、全てが足し算で降ろされてしまいます。

 当然、消化できなくなってしまう。

 この辺りの現状を把握している方は、どれほど存在するのでしょう。

「ICTが導入されたら、業務が効率化され、教材研究や子供達と向き合う時間が増えます」

 そう言われ導入される、

「一般家庭や企業には存在しない、電子黒板やデジタル教科書(教材)、授業支援システムなどの学校専用」の機器やシステム。

 入札によってメーカーが変わる。新機能がどんどん増える。

 隣町へ異動すると、違う環境。

 見慣れないツールの操作を覚えるところから始めなければならない。

 家には練習する環境はない。

 さらに時間が、余力が奪われていく。

 こういう現場は、決して珍しくありません。

 こんな中で、教育の情報化やICTを利活用を推進し

 「使いましょう」「こんな機能がありますよ」

 と言ったところで定着するのでしょうか。

 教育の情報化や、ICTを利活用した教育等その側面だけをみると、タブレット端末や電子黒板、デジタル教科書(教材)など、新しいツールの普及とその活用について積極的な展開が図られているように思えてしまいます。

 しかし、それは学校の教育活動や子供たちの学習活動から見ると、

 「ある一部分」の話です。

 教師が常に取り組みたいことは

 「より良い授業の探求」のはず。

 学習者が望むのが

 「わかりやすい授業」のはず。

 「ICT」は、その手段の一つであるはず、です。

 本質的な授業改善の考え方は昔から変わることなく、課題設定や教材開発、児童の実態把握などが大切です。

 ICTを取り入れても、指導法や学習内容、子供達の活動がデジタルになるわけでありません。

 「教育は人の営み」です。

 ICTの導入が授業改善に直結しないことは、肌感覚でわかっていること。

 かえって改悪になる場合もあり得ます。

 「授業を問い直すキッカケ」としてICTの導入や活用がある。

 今の現状からは、そう捉えた方がよい気がしています。

 フューチャースクール等の先進的なICT環境を上手に取り入れた学校。

 新しい手法について慎重に研究するための教師間の情報共有や意見交換など、かつての学校に存在したであろう

「同僚性」

こういった教師同士の関わりを今一度見つめ直すことが、

授業改善や学力向上、情報活用能力の育成など繋がったと言われていました。

使える機能、使えるツールから無理せず試してみる。

教師自身が楽しみながら試行錯誤することを許容しあう。

今日こんな活用したよ。

これは便利だったよ。

ちょっと失敗した〜。

これは使おう。

これはやめておこう。

同僚同士でそんな言葉が交わされる中から、良いものが残っていく。

その結果、過剰な機器やシステムは減り、本当に役に立つモノが開発され、提供されることを期待しています。