読書とアプリ
読書が素晴らしいのは、目に入る情報量が思考や想像(空想)の邪魔をしない適度に少ないものだからだ。
ゆえに集中し、没頭できる。
一方、ゲームなど、情報量が多く刺激的なメディアに没頭するのは、思考や想像(空想)が続いているのではなく、射幸心により離れられなくなっているだけである場合が多い。
そう考えると、パチンコ台の前に数時間座り続けることや、RPGを何度もクリアすることが理解できる気がする。
最近、子供向けの情報端末や知育・学習系アプリが増えてきているが、保護者が与えるアプリを選択する場合、この点に注意しなければならないだろう。
誰だって、
我が子が大人になった時に、
「自分らしく能動的に活動し、人生を豊かに生きて行って欲しい」
と願うと思う。(稀に、相反する事件を知るたびに、心が張り裂けそうになる)
子どもの頃から、射幸心による動機付けで学習を継続する習慣を身につけて良いのだろうか?
いや、違うはずだ。
「誰かに伝えたい」
「表現したい」
「自分を知ってほしい」
「相手を理解したい」
そのために、学び続てほしい
と心から願う。